昔からの道具で、面白い曲面を次から次へ繰り出す魔法のようなものがある。南京玉すだれである。すだれの使い手の話術もさることながら、次々と繰り出される曲面の形状の面白さには興味が尽きない。
ページをここまでお読みくださった方は、近代兵器のコンピュータが繰り出す曲面は、ひょっとしたら南京玉すだれ以上に面白いとお感じになっていることと思う。ハイテクに乾杯!
これは、2002年度後期茨城大学理学部での講義、幾何学入門(担当 卜部東介、数理科学科2年生中心)の期末の課題に対する学生の提出作品である。この講義の開始時には100名を超える受講希望者が出て驚いた。(当然端末数が足りなくなるが、茨城大学のハイテク教室には凄い仕掛けがあり、教室が広くなり、端末数が増えてしまったので、危機を凌ぎ、講義を開始できた。)期末の課題は「見て迫力のある曲面を自由に考案し、数式処理ソフト
Mathematica でそれを描画せよ」というものであった。実は、大多数の学生は、インターネットを検索し、みつけた情報をコピーしたものを提出してくるであろうと予想していた。提出された課題作品に、明らかにコピーであるものは多い。しかし、予想以上に面白いものが多いと思う。全体を縦覧するとき、とても面白く、教師の方が興奮してきてしまう。
シラバスに書いておいた僕の講義のねらいは「コンピュータによる数学教育の試みとして、数式処理ソフト
Mathematica を用いてさまざまな曲線、曲面を描いてみることとする。幾何学の基本対象である、曲線や曲面には、さまざまなものがあり、興味深いことを理解し、進んだ学習の基礎とする。曲率などの抽象概念がなぜ必要なのかを考察する。」ということであった。このねらいは達成されたものと確信する。
パソコンの時代である。誰もが未曾有の機器を簡便に使える時代である。コンピュータの可能性に着目し、数学教育の改善に取り組まれる方は多い。しかし、数学教育をコンピュータで行うことについて、否定的な意見を声高に叫ぶ数学者が結構いることを御存知の方も多いであろう。「コンピュータは原理が不明のブラックボックスであり、教育に導入すれば自己の力で考えようとしない人間を作ってしまう」というのが否定的意見の核心であると理解している。その他、「コンピュータグラフィックスには実体感が無く、表面的理解しか得られない」といったものもあることも知っている。
今回の課題でも、適当にコマンドを入力しさえすれば美しい画像が出力されてくるので、次のような誤りを犯す学生が居た。原理を考えるという方向に一歩歩みを進めれば、すぐ判る事柄なのに、それをしようとしないのである。
ホームページに掲載するに当たって、上記のような誤りのある作品は僕が修正を行った。
「実体感」に関しては、老年の方には実体感がなくても、ファミコンゲームや携帯のディスプレイとともに成長した世代には、十分の実体感があると確信する。「実体感」なる言葉が人間の心理上のことを言い表す言葉であり、個人に大きく依存する概念であることは明らかである。
課題作品をホームページ掲載のために描き直していると、僕のパソコンが理解不可能な奇妙な作動を始めることにしばしば遭遇した。昔の数学者が一生をかけても実行不可能の計算を行っているのであり、コンピュータに多大な負荷がかかっているはずであり、やむをえないこととも思える。しかし、それの原因はあくまでもプログラミングのミスであろう。ソフトウエア開発の関係者には引き続いてのソフトウエアの改良をお願いしたい。
バグ潰しが進み、パソコンの性能が更に向上したとき、全世界の人が家庭に数式処理ソフトを持ち、数学を楽しむといった日がやってくるであろう。それはすぐそこのことである。
参考文献:卜部東介、Mathematica でいろいろな曲線・曲面を描いてみよう!、コンピュータ&エデュケーション、Vol.
13, pp.29-32, 2002, コンピュータ利用教育協議会
2003年2月23日 卜部東介